就職活動  (1998/12/27新規・1999/08/04誤字修正)


ここは私の就職活動手記です

私は1998年は就職活動の年でした。
右も左もわからず、手探りでの就職活動を繰り広げました。

ここのお話がこれから就職をされる方への参考となれば、幸いです。
活動時期については、地域によって異なります(首都圏は1,2ヶ月早い)ので注意してください。
ここでは、福岡でのお話です。

就職への意識を持った頃

これは1997年(大学3年)の秋、大学主催の就職説明会です。
学校から就職資料として、就職手順手引きの案内、
企業1万社の連絡先などを載せた本の2冊が配られました。
同時にその時点での学科の内定率も聞かされました。
はっきりは覚えていませんが、50%くらいだったように思います。

1997年12月:就職活動開始

1997年12月6日に最初の資料請求を行っています。
そして12月15日には30社近くまとめてはがきを出しました。
なぜ、これを覚えているか。勘のいい方なら解るでしょう。
自分の就職ノートを作っていたのです。

このノートは資料請求に関する情報、自己分析のページ、
企業セミナーでのメモページ、週間スケジュールなど
就職に関する全ての情報を集めたものです。
戦艦のCIC(中央戦闘指揮所:レーダーから残弾、被害状況、
人員配置など情報の全てが集まる、戦艦の中枢)とおんなじです。
私は就職ノートにCICという愛称をつけていました。

資料請求ページは出した日付け、はがきに書いたこと、
資料の届いた日付けを書き込めるようにします。
自己分析ページ、企業セミナーでのメモページは言わなくても解るでしょう。
週間スケジュールについては学校のスケジュールから、個人的用事、
企業セミナー日程(行かないものも全て)、書類提出日など全日程を
これ一つでまかなえるようにします。
なお、各ページの間は十分にとってください。後で、窮屈になります。

この就職ノートは活動中、最も強い味方であり相談相手になります。
そして、就職活動が終わった後は宝物になります。

1998年1月

まだ、ほとんど資料は送られてきませんが資料請求を続けていました。
後期試験は落とさないようにしましょう、

1998年2月

ようやく、資料が届きはじめました。同時に合同セミナーも始まりました。
しかし、まだ単独セミナーはありません。
この時期に初めての自己分析をしました。
始めはめんどくさいですが、1回すると楽になります。

1998年3月

資料が届くのはこの時期が最大値でした。
この時期後半に送られてくる資料には単独セミナー案内も見られます。
合同セミナーでも、3月後半になると単独セミナーの案内もあります。
合同セミナーはどこへ行っても同じ会社が目につくようになりました。
さらに資料請求を続行しました。
自己分析も繰り返します。

1998年4月

単独セミナーのピークでした。
理系でしたが、週3,4回は外に出ていました。
1日に2社3社回ったこともあります。
セミナーの後に抜き打ち面接をする企業もありました。

履歴書はこの時期までに志望動機以外の全てを完成させてください。
自己PRは、全ての会社で通じるものを考え、全ての会社で同じことを書いてください。
志望動機は、当然受ける会社によって違うはずですから、変えます。

なお、履歴書など会社に提出する資料は全てコピーを取って手元に残してください。
面接のときに役立ちます。(履歴書と違うという余計な質問をされなくてすむ)

一つ、就職本を紹介します。
「面接の達人 バイブル版」 中谷彰宏著 ダイヤモンド社
この本はとても役に立ちます。みんなと同じコトを言わないために
模範回答は一つも載っていません、代わりに考え方が載っています。
そのため、自分なりの個性的な答えが言えるようになります。
この本は企業の就職担当者のベストセラーになったという、逸話もあります。

1998年5月

就職試験のピークでした。
企業訪問もどんどんこなします。
しかし、この時期になっても新しく受ける会社を見つける手を緩めては
いけません。初めてコンタクトを取ってから、受けるまでには
時間がかかるからです。緩めると、週間スケジュールに
穴が開くようになります。穴が開くと、精神的に追い詰められてきます。

ほとんどの企業は筆記からはじまります。
でも、筆記の勉強はあまりする必要はありません。せいぜい漢字を覚えるくらいです。
筆記は足きりに過ぎないからです。筆記の勉強をするくらいなら、面接の準備や
志望動機の練り上げを行ってください。

作文も多くの企業で課されます。作文はネタを1つ考えて行き
どんな題名の作文でも、無理やりそのネタとくっつけたものを書きます。
そうしないと、みんなと同じ作文になります。さらに時間もなくなります。

面接における全ての質問は、自己PRと志望動機です。
例えどんな質問でも、この2つのどちらかにあてはまります。

面接ではどの会社でも御社が第一志望ですと必ず言いましょう。
でないと、絶対に通りません。

1998年6月

最終面接のピークで
この時期には内定が出始めました。
暑さも身にしみてきます。
それでも、新しく受ける会社を見つける努力をします。

面接は企業により回数が違い一概に何回あるとはいえません。

私はこの時期に初めて内定をもらいました。
資本金2千万円と小さな会社です。
企業訪問で社長さんと3時間も話し、まさに、今から発展しようという元気のある企業でした。
最初は志望順位の低い企業だったんですが、みるみるうちに
志望順位が上がり、1部上場企業をも蹴散らしてゆきました。
結局、順位1位の企業に内定したので、辞退しましたが、
ほんとに、最後まで、迷った企業でした。

1998年7月

内定のピークでした。

といっても、7月1日までに、第一志望の企業から内定を
もらっていましたので、この後の内定企業はありません。

 

私は安定感に惹かれて企業を選んではいません。
自分に正直になり、仕事をして楽しいだろうと思えるところを選んでいます。

詳しい志望動機や、自己PRについては書きません
書くと模範解答として、マネする人がいるからです。
模範回答は自分で作るものだからです。

「生活○○○○○ープ○お○た」への
私の就職活動

3月5日:資料請求
3月12日:資料到着
3月23日:合同セミナー出席
(これだけのために、福岡から大分へ行く)
6月6日:会社説明、1次試験
6月7日:2次試験
6月23日:会社訪問
6月27日:最終面接
同日:内定連絡
7月1日:文書で内定通知
7月7日:就職承諾書提出により採用決定

最後に

就職活動に際して

就職ノートは必ず作ってください。
これで、1日に2社でも3社でも受けられるようになります。
強い味方になります。

面接の達人という本はぜひ読んでください。
面接の受け方、履歴書の書き方など、私の就職活動のほとんどは
この本に準拠しています。この本は精神的支えにもなります。
もちろん、後半戦は自分の経験則も使っています。

1998年12月現在、私の所属する学科(工学部工業化学科)の
内定率は大学院進学も含め、55%です。
私の研究室に限っては90%だったので、今頃震え上がっています。
これから、就職される皆さん、ほんとに気を引き締めてください。
まだまだ、受ける会社はあるさなんて思っているうちに、
何時の間にか、スケジュールに穴があいてきます。


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(C) Ryoukan