35 投稿者:kawashima (2004/08/13)
「耳をすませば」が大好きな皆さん、はじめまして!
私は、この映画を観て、長年の夢だったある計画を、本当に実行に移してしまいました!
それは、「ヴァイオリンを習うこと」です!
私が今愛用しているヴァイオリンは、幼少の頃に亡くなった祖父の形見で、私の母に受け継がれ、
誰も弾かぬまま、ケースの中で20年近くも眠りについていました。
子供の頃、ピアノのレッスンを嫌がった私は、
「それならヴァイオリンをやってみる?」と言う母に
「ピアノもヴァイオリンもイヤだ!」と拒んでしまったそうです。
ピアノは結局今でも弾いていますが、ヴァイオリンとはこの時以来、
プッツリと縁が切れてしまいました。高校生の時、無性にヴァイオリンが弾いてみたくなり、
両親に頼み込みましたが、今さら・・・と反対されてしまいました。
それから10年、ヴァイオリンに片思いのまま、この素晴らしい物語に出会いました。
「ああ!私も夢を叶えよう!」と純粋に思いました。自分自身に誓ったような感じでした。
そしてその3年後、家族に大反対されつつも、ヴァイオリンを習いはじめることができました!
「耳をすませば」は、私に、ヴァイオリンへの想いを成就させてくれた、すごい物語です!
私自身、雫のように読書や文を書くことが大好きで、聖司のようにヴァイオリンに対する想いが
とても深かったので、「耳をすませば」でこの二人の姿を見ていると、どうしようもなく
感情移入してしまいます。自分の心がとても自然にポックリと2つに分かれて、雫と聖司の中に
それぞれ入り込んだような感じです。
皆さんも、「耳をすませば」に対するそれぞれの深い想いをこれからも大切に育てていってくださいね!
そして、この物語が、多くの人の生きる力、夢への原動力となりますように・・・!
・・・長文になってごめんなさい!
・
34 投稿者:のら猫 (2004/08/06)
今、僕は高校2年生。
ついこの間、久しぶりに「耳をすませば」を見ました。
今までにも何回か見ていたはずなのですが、こんな衝撃を味わったのは初めて。
あの映画には僕の憧れのすべてがありました。
多摩市の聖蹟桜ヶ丘の眺めのよさ。
景色のキレイな場所が好きでずっとサンフランシスコに憧れている僕にとって、
あの都会と自然の美しい調和はなんとも言えませんでした。
何よりも、聖司と雫には色んな意味での憧れが感じられました。
俺は中学の時なにしてたんだろ?って思わず自問自答。
エスカレーター校なのをいいことにギターばっかり弾いてたことを後悔しました。
さすがに中3になると進路のことを考え始めたのですが、
夢が漠然としすぎててなかなか走り出せなかったのです。
そんな複雑な悩みを抱えている中、初恋にして失恋。
かなり好きな子だっただけにどん底でした。(情けない…)
バンドもメンバーは安定しないという状態で、ほぼトリプルパンチ。
まるで自分を慰めるかのように1日中オーディオの前にいました。
そうこうしているうちに高校生になってしまったのですが、なかなか立ち直れず成績も急降下。
自分の弱さが自分を苦しめてることに嘆くばかりの日々でした。
そんな僕は変わった趣味で、ジャズ、ブルース、カントリーといったルーツミュージック系が好きなのです。
ですからもちろんJohn DenverのTake Me Home, Country Roadsは知っていて、好きな曲の一つでした。
それが原因で「耳をすませばってカントリーロードのやつだから久しぶりに見てみよう」と思い立っただけのですが、
こんなに素晴らしい映画だとはかなり不意打ちでした。
聖司のクールで前向きな生き様、雫の純粋で真面目な性格に自分を照らし合わせてみて情けなくなりました。
「実は今まで自分に言い訳して生きてきただけじゃないのか?」って。
この映画のおかげ漠然としていた夢がだんだん形になってきた気がします。
この時期にこの映画に出会えたことに、また、この映画を作った方々に感謝しています。
・
33 投稿者:26歳 (2004/03/30)
耳をすませばを見る度にあの頃の学生の気持ちはどこにいったんだろう?と感じます。
夢中になるものがあって試行錯誤し答えを見つけ先に進んでいく雫がとてもうらやましくなります。
私は26歳ですが社会人になり毎日仕事の日々で給料のために毎日淡々と仕事をしています。
夢中になれる仕事を見つけたはずが社会に入ると夢中になれる仕事ではなく疲れてへとへとの毎日です。
もっと輝いた毎日にしたいと思っちゃいます。自分しだいなのかもしれませんが・・・・・。
若い頃は疲れを忘れるくらい夢中に何でもしてたのに・・・・・・。
耳をすませばを見ると机の上で寝ている雫と昔の私が重なって、そして今の私を重ね、複雑な思いになります。
・
32 投稿者:ryougoku-no1 (2002/08/17)
「耳をすませば」という作品に出会ったのは二年半くらい前で、丁度同じ中三の時でした。
初めて観たのは姉貴がビデオにとったのを一緒に観たのでした。
一回目でかなりやられてしまいました、
あの「あなたは素敵です」という西老人の台詞には自然と涙が込み上げて、
人が発する言葉に深い感動を受け涙したのは初めてでした。
観終った後の風呂ではうる覚えのカントリーロードを何度も口ずさんでいました。(今でも見終わると歌ってますが)
そして、その度に内容を思い出しては鳥肌がたって、切なく、泣きそうになっていました。
当時中三の自分は特に打ち込むモノもなく、私立に通っていたため進路の悩みも無く、
男子校のため誰かに恋するなんて事もありませんでした。
そのためか悩みが無いのが悩みというか、進路で悩んでたり、目標を持っていたり、見つけたり、それに苦しんだり、
そして大切な人と出会ったり、するというのが111分に収められたこの作品に憧れを抱きました。
そして今進路に悩む自分がいます。
地元の奴等とつるんでやっているHIPHOPのユニットのイヴェントがもうすぐでリリックを書かなければいけない、
そんな暇も無く受験勉強もしなくちゃいけない、自分が「あなたは素敵です」と呼ばれる風になれるかわかりませんが、
「雫」と自分を重ねるとガンバロウという気になれます。
恋の方はカラッキシですが、これからもこの作品を心の支えの一つにして頑張りたいと思います。
・
31 投稿者:COCO (2002/08/12)
「耳をすませば」私には二度の出会いがあります。
私は耳をすませばの映画を小学校3年生の時に観に行きました。
はっきり言ってその時はこの映画を好きになれませんでした。
お母さんはとても気に入っていたようでしたが、私は「ジブリの中で1番つまらない映画」と言っていました。
だから映画を観に行ったっきり、ビデオが家にあったにもかかわらず、全然観ませんでした。
そんな私が耳をすませばを好きになったのは、中学3年生の時です。
たまたま家で弟がビデオを観ていたので一緒になって観ていたら、「こんなにいい映画だったっけ?」とかなり感動しました。
ちょうど受験期に入るところで、共感みたいのを覚えました。
映画を観たときはまだ小さかったので、この映画のよさがわからなかったんだと思います。
その日から私は耳をすませばにやみつきになり、勉強もせずにビデオばかりみていました(笑)
やっぱり受験というのはストレスのたまるもので、私は気分転換にと耳をすませばをみるようになりました。
この映画のおかげで、かなり精神的に助かったという気もします。
本当に毎日のように家に帰ってくるとビデオをみていた気が・・・。
友達にもだいぶ悩んでいた子もいたので、気分転換にすすめました。
そして無事に受験が終わって春休み。
耳をすませばが好きな友達と「聖蹟桜ヶ丘に行ってみよう」ということになりました。
けれど私は(友達には悪いけど)どうしても一人で行ってみたかったので、視察と言って一人ででかけました(笑)
聖蹟桜ヶ丘はとてもいい所でした。それで私は大満足で帰ってきました。
ただ耳ノートの所に常に人がいてびっくりでした。地元の若い人か、女の子二人で青春してました。
高校生になって耳をすませばをみることが少なくなり、この前テレビで本当に久しぶりにみました。
この映画には色々な想いがあります。受験の時助けてくれた耳をすませばに感謝しています。
私もしずくの様なすてきな女の子になりたいです☆
・
30 投稿者:草大 (2002/07/25)
僕が「耳をすませば」に最初に出会ったのは、1998年頃、小学校5年生ぐらいの時でした。当時金曜ロードショーで放送されてたのをキッカケに好きになり、他のジブリの作品も次々とレンタルビデオ店で親にせがんでは借りて貰い、見ていきました。
しかし、いつの間にか(他の事に興味が行った事もあり)「耳をすませば」やジブリに対する興味や、好きだという気持ちは薄れて行きました。それは多分、当時は、絵の丁寧さなどに惹かれていて、話の内容などを全然理解してなかったからだと思います。
しかし、この前(2002.7.19.)の放送で偶然、久しぶりに「耳をすませば」を観て、その時は中途半端にしか観れなかったのが気になってレンタルビデオ店で借りてしっかり観て、改めて、小学生の時とは比べ物にならない位、「耳をすませば」という作品を好きになって行きました。
ラストシーンではいつも目頭が(少しですが)熱くなります。
僕が一番好きなシーンは、ラストシーンと、屋上でのシーン、地球屋での演奏シーンなどです(まぁどれも好きなんだけど・・・)。
そして一番好きなセリフは「飛ぼう!
上昇気流を掴むのだ!」です。このセリフは行動してみる事の大切さを語っている様で、とっても好きなのです。
「耳をすませば」という作品を本当に「素敵だ」と思ってくれる人が、これからも増え続けてくれるといいな、と思います。
・
29 投稿者:JUN (2002/07/22)
こんにちは。僕は21歳大学4年生で町田に住んでいます。
先週カントリーロードを見て英語や日本語の歌の歌詞を知りたくて
検索したらこのページをはじめて見つけました。内容が濃くて、
実際の場所の写真や映画のエピソードまでとても気がつかないことまで
書いてあり面白みもあったのでいいページです
僕が、この映画に出会ったのは中3の学校で、先生が見せてくれました。
受験が近づいている中なぜか、自分と主人公が同じ年なので比較したりして
ました。その時やっぱ感動していい映画だと知りました。
それで数日前に、またテレビでやったので見て正直感動して泣きました。
もちろん映画もそうだったのですが、以前見たときは現在の住んでいる場所
ではなかったので京王線も聖蹟桜ヶ丘も知りませんでした。
しかし、映画であちこち京王線が移るのでもしかしたら家の近くではないか
と思いながらなんか親近感があり最後のほうの話しは忘れていたので1から
見た感じでした。たぶん中3の時の僕は幼すぎて恋とか鈍感だったのでしょう
ここのページではじめて聖蹟桜ヶ丘と読売ランドの上からの場面を知って、
感動したのです。
なぜかと言うと以前付き合った相手が聖蹟桜ヶ丘だったのです。
その時の相手が、聖蹟桜ヶ丘に住んでいたのです。僕の家から原チャリで
20分ぐらいなので毎日というぐらい会ってたので、いくつか知っている場面
があることをここのホームページで初めて知ったのでに一緒に歩いた場所や
駅が映画になっていて照らし合わせたりしてまた泣けてしまいました。
2年前に別れましたが、いい思い出でした。映画と現実を照らし合わせたりして
しまいました。いくつか知らない場面が多いので案内してくれる人がいたら
いいですね。
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28 投稿者:ウツノミヤン (2002/07/20)
僕は中3の時、高校受験に失敗しました。自分にとってはレベルの低い私立にいくことになりました。
合格発表で落ちたその日に、このままじゃダメだ、と思いました。
「小説を書こう」即決しました。読書は普段からしていたのでこの発想は必然だったと思います。
一年生の秋、耳すまをテレビで見て、正直ビックリしました。何かしなきゃ、といった想いがまるっきり
雫と同じだったから。「書きたいだけじゃダメなんです」には目から鱗がでました。
俺って雫とにてるなぁ、ってそう思った。
高校3年間はそうした日々を送り、それなりに意味はありました。
大学受験に関しては適当にやり過ごしまして、持ち前のセンスで合格し、何とか2流の国立に通っています。
そして、僕には弟がいます。
彼は本当にスゴイ奴です。僕が小説を書いている間、必死に勉強しました。
高校3年に浪人1年の4年もの間、諦めることなく。
「NASAにいきたい」本気だった。彼は今、東大生。
自分の近くに本当にスゴイ奴がいる。夢を形にできない自分がいる。
この虚無感はなんだ。
3回目の耳すまの放送を見て、雫にすげぇ共感した。一回目以上に。
負けてられない――。来年の4月からは社会人。
これからも夢を諦めることなく、生きていきたいものです。
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27 投稿者:良晴 (2002/06/25)
こんにちは。19歳学生です。僕と耳をすませばの出会いは中学3年の頃でした。
この映画を初めて見たときの感動は今でもはっきり覚えています。
そして聖司と雫のような恋愛にとても憧れました。もちろん今でもそういう出会いを楽しみにしています
(なかなかないですけどね・・・)。
僕はこの映画の背景がとても好きになりました。
このホームページを見るまで舞台になった場所が東京の聖蹟だということを知りませんでした。
あのような素晴らしい場所が実際にあることに本当に驚きました。
写真を見ると映画そっくりの場所がいくつもあって、ぜひ一度行ってみたくなりました。
耳をすませばはこれまでみてきた映画の中で一番好きです。
まだ見たことのない人はぜひ見て欲しいです。きっと何か大切な物を思い出させてくれると思います。
僕も僕の人生という物語の主人公としてこれから素晴らしい人生を送って行きたいです。
・
26 投稿者:鷲一 (2002/06/17)
現在高二の僕が初めて「耳をすませば」を見たのは中一のとき、その時のことはよく覚えてません。
それから二年後の中三の秋再び「耳をすませば」を見た僕は完全に「耳をすませば」の虜になってしまいました。
その頃は夢もやりたいこともなく、「何故高校に行くのか」その目的も見つからないまま、
残り少なくなった中学校生活をただなんとなく過ごしていました。そんな僕にとって「耳をすませば」は衝撃的でした。
聖司や雫の、自らの心に素直で夢に向かって頑張る姿に感動しました。当時の僕にもやりたいことはありました。
でもそれを行おうとする勇気はありませんでした。でも「耳をすませば」はそんな僕に勇気をくれました。
今僕はそのやりたいことをしています。だからでしょうか、高校生になってから「耳をすませば」を見ても、
あの時の感動は沸き起こってはきませんでした。
しかし今日久しぶりに「耳をすませば」を見て、あの時とは一味違った感動を感じました。
それは雫と聖司の恋愛に対する憧れでした。
友達のA君に彼女が出来た、B君が別れた、そんなことたまに耳にしますが、
僕は出来る限り雫と聖司のような純粋な恋愛がしたいなと思います。
あの2人みたいに愛し合えたら、それは素晴らしいことだと思います。
今日「耳をすませば」を見てそんなことを考えました。
「耳をすませば」は僕にとってとても大きな存在です、もしかしたら僕の人生を変えた映画かもしれません。
とにかく僕は「耳をすませば」が大好きです。それだけはこれからも変わらないでしょう。
・
25 投稿者:あお (2001/12/17)
「耳をすませば」と出会ってから、何年が経ったでしょうか。
とうとう、あの風景が私の心の中に常に住むようになってしまいました。
日ごろはもう少し殺伐としている風景も、自分の心ひとつでこのようにすばらしく感じられることを、改めて実感しています。
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24 投稿者:ラキーチン・アルテミコフ (2001/10/23)
俺が耳すまと出会ったのは、まさしく中学三年生の時でした。それも何を思ったのか劇場公開を観に行きました。
確かジブリ好きの友人に誘われての事だったと思います。
俺はこれを観た時、正直「んなアホな」というのが第一印象だったと思います。
かわいくないですよね。でも、人って、驚くべき事に自分にも嘘がつけちゃうんですよね。
その後すぐレンタルCD屋に行って「カントリーロード」を借りました。
表面上は疑心暗鬼になりながらも胸のどこか奥でかなり気に入ってたんだと思います。
それをテープに録音して聞いていたのを、別の友人にバレ結構恥ずかしい思いをしました。
中3の男がアニメ、というのが何となく恥ずかしかったのです。そんなに男らしくもなかったくせに。
俺は中三当時こんな淡い体験をしなかったし、進路についても全く実感が湧いてませんでした。
ただ何となく将来に対する漠然とした不安はあったと思います。
耳すまを見たことをキッカケに進路を考えだしてもよかったものですが、当時の自分はなぜかそこまで考えが回らなかったのです。
今思えば不思議で仕方ありませんが。
今日ビデオで改めて耳すまを観ました。聖蹟桜ヶ丘にも行って来ました。
聖蹟桜ヶ丘では、おそらく俺と同じ目的であっただろう人を何人もみかけました。
どうして今、再び耳すまに関心を持ったのか、多分それは、今の俺がいつかと同じ将来に対する漠然とした不安を抱いているからだと思います。具体的にはリクルートブルーという奴ですか。
自分は映画撮りになるという夢があります。でも目の前に就職活動という戦争が待ち構えている。
周りで次々と背広を着ていく人も無視できない。
今はもう、どんなにもがいてみても、あの頃には戻れないから前に突き進むしかない。それに気がつかされました。
同時に、なんか不安がある時に頼りにしたくなる耳すまの力は凄いと思いました。
そして自分もいつか、人に影響を与えるような映画を撮りたい。
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23 投稿者:しずく (2001/08/27)
耳をすませばを映画館に観にいったのは中学3年のときです。
主人公の雫もおなじ3年生であり、ちょっと身近というか、今の自分にぴったしな映画だと思いました。
それ以来、すごくはまってしまいビデオも購入して、テープがのびるくらいに観ました。
雫は気の強い女の子ですが恋をしたときの様子は、やっぱり女の子なんだなと思いました。
一番好きなシーンはセイジがイタリアのクレモーナニいくことが決まったときに雫の教室まで報告しにきたときです。
杉村はすこしかわいそうな感じがしました。
セイジの屋上での精一杯の告白、なんか若さを感じましたね。でも結ばれてよっかたと思います。
ふられら杉村も、落ち込んでいた夕子もエンディングをみていると放課後一緒に下校しているみたいですし。
一番好きなセリフはセイジのおじいさんの「ありがとう、とてもよっかた。荒削りで、未完成でまるでセイジのバイオリンのようだ」です。
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22 投稿者:うら (2001/07/16)
『耳すま』をみたのは中3の秋頃だったと思います。ちょうど受験真っ盛りのときにみました。
主人公の二人達も中3で妙な親近感を覚えました。高一の冬に聖蹟桜ヶ丘を訪れました。
いろは坂を登り、住宅街をぬって歩きました。疲れたのでバスに乗って駅には戻りました。
僕の心の中では、将来、ぜったい住みたい町になっています。
ものすごく住みたい町でした。
・
21 投稿者:ナカム (2001/07/16)
耳すまをみて心に深く残る人がこんなにも、たくさんいたのだなと思うと、とても嬉しくなります。
自分も中学3年のころ公民館で上映していたのを、途中ほんの2分くらいだけ見ました。
残念ながらそのときはそれだけしか見られなかったのですが、高校に入り、テレビで初めてすべてを見たとき、すごい心からさわやかなものが湧き上がるようでとにかく感動しました。
今でもまた見たりすると、そのときの気持ちを思い出し、人生ですごくいい映画に出会えたと、また感動を思い直します。
「すきな人が、できました」この言葉も素直に純粋であり、最高の名言だなと思います。
耳をすませば、ありがとう。
・
20 投稿者:T (2001/07/16)
俺は大学のため聖跡桜ヶ丘からちょっといったとこの八王子市に一人暮しをしています。
聖蹟桜ヶ丘はよくいくし、なんていったって居心地がいいし・・・・
いつかはここから姿をけさなくっちゃいけないけど、俺の青春時代の一ページを過ごした街として、大事にしていきたいと思ってます。
「耳をすませば」は中2のころ、修学旅行先でビデオで見ました。あのときの感動はまだ覚えています。
俺がこの開発された多摩地域に引っ越して間もないくらいに友達から「聖跡は耳すまの舞台になったとこだよ♪」って聞かされてちょっと感動しつつ、その日、即、ビデオを借りてきました。
どこかで見た町並み、そうか、これがあの“川崎街道沿いの聖蹟桜ヶ丘”であることをしりました、ちょっと中学時代を思い出したりして・・・(笑)
僕のアパートのすぐ前が多摩市なんですが、しずくの住んでた団地から見えた緑色の塔(たぶん愛宕か乞田にある)が俺の家から見えます。しずくがあるってた川(大栗川)はすぐ裏を走っています。
この川を見てしずくが昔あるってたんだなーと思いながら橋を渡って毎日学校へ通ってます(笑)
このホームページで聖蹟桜ヶ丘の「昔の姿」を見つけてちょっと感動したり・・・
俺はこの聖蹟桜ヶ丘が好きです、いつかはさよならをいわなければならいけれど・・・・・この街を大事にしたいです。
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19 投稿者:ぽて (2001/06/25)
僕が「耳をすませば」を初めて見たのはつい1週間前です。
自分は東京にすんでいるのですが、友達といっしょにチャリンコで聖蹟桜ヶ丘にいった時「ここ耳すまの舞台だぜ」って言われたのが
きっかけでした。それまでアニメの映画をバカにしがちだった僕も一回みただけではまってしまい、一週間毎日2回ずつみてました(今日レンタル屋に返した)。
なんか心のそこから元気がわいてくる感じでした。ちょうどその時とある国家試験に落ちた直後で気分がかなり沈んでいたこともあり、本当に感動し、また勉強しようという気持ちにさせてくれました。
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18 投稿者:まお (2001/06/10)
初めまして、18歳のまおと言います。
早速ですが僕が初めて『耳をすませば』を見たのは多分中1、2ぐらいだと思います。
「金曜ロードショウ」で見て内容は全然覚えていないのに何故か僕はこの映画が一番好きだと頭の中で思っていました。
そして中3の秋、冬頃CDショップに行ったときに『耳をすませば』のビデオを見つけました。
本当にどうゆう話かも全く覚えていないのに何故か面白いという確信があり買ってしまいました。
でもその頃はテスト勉強などが忙しく見てる暇がありませんでした。ところがある日勉強が全く手に着かず集中力が
全然ない日があり、ふと思い立って気分転換にビデオを見ました。そして全てを見終わりとても不思議な気持ちになりました。
その日一日中映画の映像が頭から離れませんでした。なんか一目惚れをしたような気分になりました。
そこで雫や聖司達を見ててとても暖かい気分になり勉強もはかどりました。もっと早く出会えていたらとも思いましたが、
逆に中学3年で見たのは運命のように感じました。あれから3年以上たった今も一番の映画は『耳をすませば』です。
最近パソコンをやるようになり聖蹟桜ヶ丘のことも知り思わず行っちゃいました。
そこで地元のおじさんに会い様々な所からこの場所を訪れる人がいるということを聞きとても嬉しく思いました。
僕はこの作品に関わった人全ての人にお礼を言いたいと思っています。
今後、一生この映画は僕にとっての最高の映画であり続けるとと思います。
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17 投稿者:夢追い人 (2001/06/03)
初めまして、19歳の夢追い人です。最近インターネットを始めて、ふと目に付きました。
僕が「耳をすませば」を見たのは中3のちょうど受験真っ只中だったので心に深く残りまた。
金曜ロードショウで放映されたのを録画して次の日に見ました(なぜ金曜に見なかったのかは覚えていませんが)。
見た時は感想を言葉で表わせないくらいでした。その日から一週間は毎日見てました。
途中一日見逃した日は夜眠れませんでした。
それからも今まで何度も見ています、見るたびに何かが込み上げてくるものがあるように感じます。
「耳をすませば」に出てくるような場所が実際にあれば・・・と思っていたらモデルになった所があると風のうわさで聞き、今まで探してきたら、このサイトに出会いました。
近々、その風景をこの目に焼き付けに行きたいと思います。
話が少しずれるのですが、僕にはいつかは果たしたい夢があるんです。
他人からはどう見られようと夢を果たすまで進んでいこうという気持ちを天沢聖司に教わったようにも思います。
この作品を見てない人にどんどん勧めていきたいですね。
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16 投稿者:Ozemail (2001/05/15)
私は今オーストラリアにいます。将来ガイド通訳になりたくて一年留学することを決めました。
来る本当に直前に「耳をすませば」を見ました。まえまえからみようと思っていたのですがなかなか時間がなくて、本当に最後の最後に見れたといった感じでした。
見終わってからしばらくずっと、涙が止まりませんでした。自分が今からまさにしようとしていることのような気がして、すごく励まされました。そして行く前に石を買いました。青色の石で中にいけばいくほど明るくなっていってて、光にあてると中がきらきら光って本当にあの石みたいです。それを見ると頑張ろうという気持ちになります。
まだまだ私もこれからで未熟だけれど、自分の夢を持ちつづけて磨いていけたらなと思っています。
それと一人でも多くの人がこの映画を見てくれるといいなと思います。
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15 投稿者:ナオヒサ (2001/03/05)
はじめまして、ナオヒサって言います。ここのHPには11月に始めて「耳すま」を見てから何度も来ていたのですが、書き込みは始めてです。(緊張)
「耳すま」を見た11月は進路の事とか、いろいろ悩んでいた時期でした。(今も悩んでいますが)
すごい感動しました。夢と恋の物語。何度も見ました。(その頃は一日一回ペースで)夢をかなえるために頑張る姿、恋する事のすばらしさ、いろんな事を知った気がします。
雫と聖司、お父さん、お母さん、西おじいさん、杉山、夕子、いろんな人の人間関係がすばらしいと思いました。
本当に夢や恋ってすごくいいなあって思いました。
悲しい時や迷った時、ふと雫や聖司やみんなに会いたい時、見ます。この「耳をすませば」をもっとたくさんの人が見て感動して欲しいなと思いました。
・
14 投稿者:Rainy (2001/02/20)
こんにちわ。なんか「耳をすませば」の映画を見て感動を覚えた人がほんとにたくさんいるんだなーと思いました。
僕がこの映画をはじめてみたのは雫と同じ中三のときでした。すっごい感動を覚えたのを今でも思い出します。
でも、今ではなんかあの映画を見るのがつらいです。変わってしまった自分っていうのかな?あのときのような素直な気持ちでみれない自分がいます。あのころに戻りたいです、そしてもう一度あの時と同じ感動を味わいたいです。
僕にも今、好きな人がいます。その人のことはすごい好きです。聖司が雫を思ったように僕も彼女を思ってます。
でも、実際はうまくいかないですね。人ってもっと汚れてるし、自分勝手だし、もっと思われたいって思う。してあげたら見返りを期待する。出会ったときは違いました。一緒にいるだけでいい、そうあの映画のようにお互いのことを好きでいられたらそれでいい。それだけのことだったのに・・・・・。
彼女と付き合い始めてもう2年半になります。もう一度素直な気持ちにもどてあの映画を見て感動したいです。あのころの自分に会いたいです。
・
13 投稿者:虹猫 (2001/01/22)
本を介する出会い、とても素敵でした。
自分に近いところに有るのに、それに核心的に気づいたことはなかったので
とても新鮮に感じました。私は基本的に本好きでもあるし、これはとても憧れます。
*余談*
私は今高校一年生なのですが、中学時代、特に受験生の頃を振り返ってみると
自分の身の周りの事など全く目に入っていなかったように思えます。
「本を読む時間なんかない。少しでも多く勉強しなきゃ」と目標もないまま流され、生き急いでいた気がします。
「耳をすませば」を以前一度見た事があったのですが、あまりピンと来なくてそのまますっかり忘れていました。
受験生を終え、高校にも合格しましたが、なんとなく過ぎていく毎日に「このままで良いのか」と疑問を抱いていたとき、再び「耳をすませば」に出会いました。あのときを過ぎてこの作品を見て、すべてが手に取るようにわかるようになっていました。何度も涙がこぼれました。
今の自分に受験生までの私から喝を入れられたような気がして、目が覚めたような気持ちです。・・・そして私は今、いろんなことに挑戦し、奮闘している毎日です。自分自身、そして大切な何かを見つけられるように・・・
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12 投稿者:ひがしたに (2001/01/15)
自分がこの作品に接したのは、中二の頃、劇場公開においてでした。
感動のあまり、思わず映画館に4回ほど見に行ってしまいました。
そしてこの作品による影響は大きく、もともと本好きだった私は、学校・市立図書館に通いつめになり、膨大な量の本を読み漁ったものでした。
また、聖司君にも影響され、自分だけの秘密の場所を探すため、学校へ行く数時間前に起きて自転車で山から海まで走り回る、ということもしておりました。いやぁ、若かった(笑)
小さい頃やっていてしばらくやめていたヴァイオリンも、その頃にやり始めるようになりましたし。
おかげで多芸無芸になってしまいましたが。
5年ほどたったいまでも、なんど見返しても赤面ですね。
いやぁ、うらやましいっ!というか感動だぁ・・・。人生観変えられたぁ・・・。
・
11 投稿者:s-tanoue (2000/12/10)
初めまして、ただいま受験真っただ中の中学三年生の女の子です。
『耳すま』と初めて出会ったのは小学六年生の時でした。とてもステキなラブストーリーで「私もこんな出会い方をしたい」とおもいました。 主人公の雫と同じで本が好きで自分で小説を書いています。実を言うと、映画で出てきた場面“雫が学校の図書室で借りていた本「フェアリー・テール」と言う題がみえたシーン”がありますが私は、それを探しだして読んでみました。
読んでみるとおもしろいので探して読んでみてください。
話に戻りますが、あと一つは、雫の書いていた物語を見てみたいとゆうのがあります。
お話を書くには『好き』だとゆう気持ちが大切だと思います。しかし、雫の思い人の聖司君がどんどん先に行ってしまうので雫は途中で焦ってしまいまとまらなかったんじゃないのかなと思います。
やっぱり、『好きだ』って気持ちも大切だけど、多くの経験をつんでいくのも大切だと思います。
それと、中学にあがる前に願った事、それは…「絶対に三年生になったらあんな出会いをしたい。」そう心に決めていました。
でも、その願いもむなしく中学生活があとわずか…けれど、今は「高校にいったら…」と心に決めています。
この作品は、私にとって、とても大事なものです。
・
10 投稿者:岩谷大碩 (2000/11/30)
僕が初めて「耳すま」を見たのは95年の映画館でした。その年の1月にふるさとの街である神戸は、大震災により大きな痛手を負い、当時小学5年だった僕も大阪に疎開し、そのほとぼりが冷め、神戸に戻って来られたのも3,4月だったと覚えています。
奇跡的にも小学校からの死者は無く、その点で悲しむ事は無かったものの、多くの友人が引っ越したり、疎開先から戻らなかったりと、やはり震災はその爪跡を大きく残していきました。
その年の夏、横浜に疎開した一番の友人と「耳すま」を見に行きました。雫と聖司の恋愛は幼い僕には少し恥ずかしかったものです。しかし、ひたすらでも前を向いて行こうとする雫に対し、全てを震災のせいにし、下を向いていた心を揺り動かされ、神戸という大切なふるさとの街を再認識する事が出来、気が付けばいつの間にか涙していたのを今でも忘れられません。友人も泣きながら「絶対に神戸に戻る」と言っていました。昨年彼は神戸には戻られなかったものの、隣接市である西宮市に戻ってきました。
今日に至るまで「耳すま」をテープが切れる位見てきました。科白が全部言える程。周りの皆は変だと言うけれど、これが僕の元気の出し方だと思っています。受験の時、友人とケンカした時、部活動で成績が良くなかった時、本当に様々な時に助けてくれ勇気を与えてくれた、この作品「耳をすませば」に出会えて本当に良かったです。
・
9 投稿者:みみりん (2000/11/19)
先日放送された金曜ロードショーで、初めて「耳をすませば」を観ました。とても感動しました。
こんな素敵な作品を今まで知らなかったなんて・・・
私は現在30代半ば、2人の子供の母です。
図書館で時間を過ごした日々を懐かしく思いました。(図書館司書の資格までとったんです。)
私ぐらいの年齢で結婚して子供が居れば、人生のレールの先は粗方決まっているように思えます。
雫や聖司のように無限の可能性や夢をもてたのは過去のことかも?
でも、「耳すま」を観たら、ある言葉が浮かんできました。
「スタートに遅いということはない。いつから始めても道を極めることはできる。」
これは尊敬している方から以前言われた言葉です。
「耳をすませば」はだだ単に昔を懐かしく思わせるだけではなく、今の自分に気づかせてくれるものがありました。
心地よい感動と元気をくれるいい作品です。巡りあえてよかったです。
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8 投稿者:Y,Hibi (2000/11/12)
あたしは中1の秋、友達に勧められて「耳をすませば」を見ました。その時「なんてイイ作品なんだろう」と思いました。
でも、そのビデオは友達に返し(あたり前だけど)たので、耳をすませばはもう、2年も見ることなく時は過ぎていきました。くはっ(」・◇・」
そして11月11日、金曜ロードショーで耳をすませばを2年ぶりに観ました。
もう、たまんなく感動しました。もち、ビデオも撮りました。
今度のクリスマスプレゼント、もしもらえるのなら耳をすませばのビデオがほしいです!
だって、あたしは中学三年生だもん★
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7 投稿者:ムーン (2000/09/04)
高校2年です。この休み中,ビデオを借りて初めて「耳をすませば」を見ました。中学の時知ったんだけど,あれって恋愛物語だろー,と少し馬鹿にしてました(ホントは,見たかったくせに見るのが恥ずかしくて…笑)
それで気になって気になって…
これを見て,人を好きになることはすばらしいことだ、ということがよーくわかりました。今まで気にしてなかったのに杉村や聖司のことを異性としてみたときの雫はとても可愛かった。女の子ってみんなそうなのかな・・・
聖司は,恋に関しては素直になれないながらもちゃんとした進路を突き進めるし本当にすごい。やりたいことに向かって成長していく2人をみて,ただ大学行って…じゃなくて自分がしたいことに正直になって前に進もうと思う。「恋」と「進路」を考えさせられるホントにいい作品でした。
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6 投稿者:mercy (2000/07/19)
私は現在,かなりのおぢさんとなってしまいました.ひょんなことから「耳すま」を見ることになり,猛烈に感動したことを覚えています.私にとって,中学の3年間は最も輝いていた瞬間のひとつでした.日常の最もつまらないことさえも,きらりと輝いて見えた時でした.学校の校庭の片隅を吹き抜けた風さえ,蒼く見えた時でした.夏休み,誰もいない校舎に入ってクラブ活動(当時,私はブラス・バンド部でした)を行い,休憩時間に校舎の窓から見下ろしたプールに張られた水の,何ときらきら輝いていたことか.そして,同じクラスの,黒髪が綺麗だった少女に恋をした自分が,何と純情であったことか(手も握れなかった!!).そんな,最も楽しい思い出が「耳すま」には一杯に詰まっています.スタジオ・ジブリの作品の中で,「風の谷のナウシカ」よりも,「天空の城ラピュタ」よりも,「平成狸合戦ぽんぽこ」よりも,「もののけ姫」よりも,一番好きな作品です.でも,この作品が本当に好きな理由は,上に述べたことも事実ですが,実は..... 聖司と雫が本当は一緒になることはなかったのではないか?と,想定してみたからなのです.おそらく,聖司は一人前のヴァイオリン造りに,雫は作家になっ
たのかも知れません.しかし,二人がそこに到達するまで,おのおのが様々な人に逢い,様々な人と別れて,様々な楽しい思いをし,様々な辛い目にあったと,思います.そんななかで,自分自身を掘り下げていくためには,様々なことを捨てていかなくてはなりません.雫は聖司を捨てたかもしれないし,聖司は雫を捨てたかもしれない.そうしなければ成長できないことがあるからです.私自身,そうでした.それが良かったのか,悪かったのか,いまだにわかりません.雫はあの後,どう生きて一人前になったのでしょうか.聖司はどうだったのでしょうか.ラスト・シーンは本当に素晴らしかった.今見ても涙する一場面です.でも,彼らが交わした約束は淡いものであったということも事実である場面が,人生にはいくらも
あるものです.
誤解のない様に強調します.私は「耳すま」が大好きです.そこには私が忘れて
しまった本当に楽しい人生の一場面が,本当に凝縮されて,時間の壁を超えてフィルムに焼き付けられているからです.けれども,雫や,聖司や,夕子や,志保や,杉村や,その他の人達の「その後」を思い描くと,この映画のもうひとつの魅力が見えてくるのではないかと,私はたった独りで考えています.御批判,ごもっとも.でも,私は私なりに「耳すま」が大好きです.
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5 投稿者:masashi taira
(2000/07/17)
目標を見失いかけていたときこの映画と出会いました。
自分の限界を知るのが怖くて弱気になっていたときに
なんか電気ショックを与えられたような胸が熱くなる感覚がして
しばらく何もできなくなってしまいました。
自分自身今まで何かを死ぬほどやってみたことなんて、無かったから
雫を見ていてなんかとても羨ましく思っていました。
心の底ではなにかやりたいと思っていたから雫の実行している姿が眩しくうつりました。
夢を持つっていいな、もしかしたら自分も原石なんじゃないのかな、
いや、きっと原石のはずだと思ってがんばろうと思いました。
本当にこの映画と出会えてよかったです。
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4 投稿者:sanami (2000/05/16)
私は雫と同じ中3の時この映画に出会いました。
ちょうど同じだったから、いろいろ自分と重なるところが
ありました。今私は18でまたまた人生の岐路に立っています。
将来の事で悩むと「耳をすませば」をみて、自分自身を見つめ直しています。
この映画は本当にみんなに見てもらいたい。
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3 投稿者:菘 (2000/02/03)
中3のころ、『耳をすませば』に出会いました。ちょうど1998年テレビ放映された時でした。
夢に向って着実に進んでいる聖司を見ていた雫の姿が私にそっくりで、気が付くと作品の中に入り込んでいました。
私は『耳をすませば』の中であらためて自分の夢を見つめ直すことが出来ました。
今も挫けそうになったり何もかも投げ出しそうになったとき、ビデオを見ています。それは、苦しみたちから真っ直ぐに向き合える気がするからです。
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2 投稿者:YUKO (1999/11/06)
私が『耳をすませば』に出会ったのは、去年の秋頃だったかなぁ。受験生で、いろいろ悩んでた時でした。たまたまテレビでやっていたので、見てみたら、雫も同じ中3で、私と同じ立場だったので自分と重ねてみていました。雫ちゃんはとっても純粋だなと思いました。私も雫ちゃんのようになりたい。そう思いました。
私の大好きな場面は、聖司くんがイタリアから帰ってきて、早朝に雫を迎えに来て、朝日を見に行くところです。(最後のシーン)あと、2人が屋上で話すところも好きです。ほのぼのしていて、大好きな映画です。
ビデオを買ってもらったので、落ち込んだ時や、悲しい時に見ています。私の元気のもとです。
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1 投稿者:三平 (1999/11/02)
見所はやっぱり雫がおじいさんに小説(でしたよね)を見てもらって、その感想を待っている時間。
そして、その結果、聖司に似ていると。今は石かもしれないが、磨けば光るダイヤの原石にもなり得ると。
本当にプロになる前の職人サンがあの場面を見たら、自分と重ねるとおもいました。
人間目標があるって素晴らしいとおもいます。
偏見だと思いますが、今の方々って本当に社会の為に夢を捨てるとかそういった事って少なくないと思うんです。でも、やっぱり「夢」や「目標」って死ぬまで持っていたいと思うんです。少なくても私はそうです。今だ実現できてませんが。
あの映画、あまりにも純粋無垢で穢れを知らないって感じでマズイかな?って面もありましたが、本当にこれからの世の中、ああいった有る意味の純粋さも必要だと思います。悲しかったら泣いて、嬉しかったら笑う。
自分自身というものを持ちつづけていたいです。